生成AI×編集部で紡ぐショートストーリー

【ケアマネ小説】砂漠の街の小さな砦・前編

文書生成AIを活用し、ケアマネジメント・オンライン編集部が作成した「ケアマネ小説」。今回は、古い家で最期まで過ごしたいとこいねがう、独居のご利用者を担当するケアマネジャーさんのストーリーです。

もし、首都圏直下地震が来たら。

(この家が、真っ先につぶれるんじゃないかな)

今、私が訪問しようとしているのは、そんな家です。昭和そのものといいたくなるトタン屋根にトタンの壁。それも、ところどころサビが浮いています。玄関は、引き戸式。ガラガラと音を立てて開けると、恐ろしく紙が黄ばんだ障子も見えます。50代の私にとっても、この家はレトロすぎます。

(この家が、何だというの。どうして、この家で死ぬまで、と思うのだろう)

私は佐藤美紀。今年でケアマネジャーとして働いて11年目を迎えました。今、訪れようとしているのは、ターミナル期にある田中健一さんの家。末期の膵臓がんを患っており、日中は、ほぼ寝たきりで過ごされています。

私が部屋に入ると田中さんは、ゆっくりと首をこちらに向けました。「こんにちは、今日はどうですか?」と私が声をかけると

「今日は少し楽、かな」

いつも通り、穏やかな返事が返ってきました。笑ってはいますが、その表情には、はっきりと疲れが浮かんでいます。

「…田中さん。やっぱりホスピスか医療のサービスも期待できる介護施設に入りませんか」
「その点は先週、断りましたよね。私は、この家で、妻の遺影に看取ってもらうのです」
「そうですね。話を蒸し返してしまい申し訳ないです。でも、やっぱり心配なんですよ」

その言葉に、田中さんは、ちょっとだけ目を見開き、驚いた表情をしました。

「本当に心配ですか。私のことが?」
「ええ。もちろんですよ。ですから、施設かホスピスへの入所、真剣に検討してくれませんか」
「久しぶりですね。人にそこまで心配してもらうのは…。ただ、やはり私は、この家で最期まで過ごしたいのですよ」
「あの、どうしてそこまで、この家にこだわるのですか?奥さんの遺影は施設にも持って行けるはずですし」

私の問いに、田中さんはとつとつと語り始めました。その声音には、東北地方のなまりが混じっていました。

私のことを、そこまで心配してくれたのは、あなたのほかは、おそらく和子くらいです。
和子は私の亡くなった妻です。
和子が亡くなったのは12年前。享年は65歳、私と同じ膵臓がんであっさり逝ってしまいました。

和子も私も、出身は東北地方の寒村。いわゆる「金の卵」として上京した者同士です。
ええ、そうですよ。上野駅が最初に踏んだ東京の土地です。よくご存じですね。
ああ、あの映画で知ったと。そうですか。いや、あの映画は、私たちも見ましたよ。テレビで、ですけど。
ただねぇ。私も和子も、あの作品はどうにも感情移入できなかった。
正直な話、きれいごとにしか見えなかったんですよ。

ほかの人はどうか知りませんが、私と和子は、口減らしで東京に送られた身でした。
そのことは、電車で上京する時から理解していました。
だって、就職列車が出発するプラットフォームには、私を見送りに来てくれた家族や親せきは、1人もいなかったから。ちなみに上京してからこれまで、故郷の家族からは手紙はおろか、年賀状も来たことはありません。働いていた工場は知っていたはずなんですけどね。

それでも私は、明るい未来があると信じていました。
なにしろ私が向かっている都会は、世界一のテレビ塔が立ち、世界最高峰のスポーツの祭典も開かれた街です。
故郷を追われた男の子が夢を託すには、十分過ぎるくらいまばゆい存在だったんですよ。

だが、実際に触れた東京は、私にはひどく冷たく感じました。

私が就職した町工場には、和子と私のほか、10人ほどの「金の卵」が働いており、その子たちは、関東や西日本の出身でした。
チャキチャキてきぱきとした会話を交わす彼ら彼女からみれば、のんびりとした東北なまりは、どうしても滑稽に感じてしまうのでしょう。
事あるごとになまりをからかわれているうち、私も和子も、必要がなければ一切、口を開かなくなってしまいました。

そのうち、休憩時間も休みの日も、無口な者同士、だまって寄り添うように過ごすようになったのです。

私たちが若かったころの東京にも「歌声喫茶」だの「モダンジャズ喫茶」だのと、若者同士が集う場はありました。
だが、なまりに強い劣等感を抱いてしまった私たちは、とてもそんなところに出向く気にもなれませんでした。
ぼんやりと街や公園を散歩することが多かったな。せいぜい、たまに映画館に行くくらいでしたよ。

私と和子が結婚したのは、上京してから5年目の春です。
形の上では、恋愛結婚といえるでしょう。
しかし、私たちには「恋をした」という記憶は全くないのです。
実際「好き」とか「愛している」とか、そんな言葉を交わし合ったことは、ほとんどなかったと記憶しています。

故郷には帰れず、東京にもなじめない似た者同士が、頼れる人もいない街にしがみついて生きるため、必死に手を取り合い、いつの間にか、番(つがい)になった―。

それが私たちの結婚でした。
新婚旅行も行きませんでした。式だって、近くの神社で祝詞をあげてもらっただけ。披露宴も行いませんでした。
呼べる親も友達もいなければ、お金もなかったからね。

そんな私たちでしたが、初めて夫婦になった夜、誓ったことはあります。
それは「小さくてもいい。いつか必ず、二人の戸建てを持とう」

当時の若者の多くは団地に住むことに憧れていました。
でも、私も和子も、同世代の若夫婦が、上下左右にみっしりと住まう団地には絶対に住みたくなかった。
二人だけの家に帰ってまで、なまりを気にしてしゃべらないような生活だけはしたくなかったのですよ。

もちろん安月給の二人ですから、簡単に家を買えたわけではありません。
というより、ただひたすらに、お金を貯めるためだけに働き続け、結婚11年目で、ようやっと購入できたのが、この家なのです。
だから、私は、この家から離れたくないのです。

田中さんの話を聞いて、真っ先に昭和歌謡の題名が浮かびました。田中さんとその奥様にとって、トタンに覆われたこの古い家は、この砂漠の街で生き抜くための、ただ一つの心の砦だったのです。

その事実に思い至った時、施設やホスピスへの入所を勧める気持ちは、完全に消え去りました。

「お気持ちは、よくわかりました。大切なお話、ありがとうございました。この家での生活、全力で支えさせて頂きます」

深く頭を下げた私の耳に、つつましく、やわらかなお国言葉が届きました。

「めやぐだじゃ…」

この言葉が、感謝を伝える青森の方言であると知ったのは、後日のことです。

(後編に続きます)

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